
人生を豊かにするには、自分の好きなように生きること!
こんな言葉をよく耳にしますが、これは半分正解で半分間違いといえます。
というのも、意味を履き違えてしまったり都合の良いように解釈してしまうと、かえって自分を見失ってしまう可能性があるからです。
自分の本質を理解せずにいると、自己の成長が妨げられ、結局好きなようには生きられません。
実はこれ、過去に私自身が経験していることなんです。
回り道をしてようやくその意味が理解できた今は、毎日好きなように生きて、日々充足感に満たされています。
この記事では、
- 「好きなように生きる」の意味を履き違えるとどうなるか
- 「好きなように生きる」の本来の意味とは
- 「好きなように生きる」にはどうすべきか
について解説していきます。
「好きなように生きる」の落とし穴
「楽をして生きる」と勘違いしてしまう
「好きなように生きる」ことは「楽をして生きる」ことではありません。
自分の好きなことを突き詰めて、誰にも負けないレベルまで到達した結果、他人の役に立ったり喜んでもらったりして生きていくことを指します。
大切なのは、人のためになるレベルまで好きなことを追求するという点です。
イチロー選手は、
自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げる。夢中になれるものがあれば、壁に立ち向かっていける。
と言っています。
イチロー選手は大好きな野球を追求し続け、過去にない偉業を達成し、見ている人々に夢と感動を与えてくれました。
野球選手として毎日好きなことに打ち込んでいるけれど、誰も彼のことを「楽して生きている」なんて思わないですよね。
むしろ、好きなことを極めるために誰よりも地道な努力を積み重ねているのです。
PDCAの“PDC”で終わってしまう
PDCAとは、
P:Plan(計画)⇒ D:Do(実行)⇒ C:Check(評価)⇒ A:Action(改善)
の頭文字をとった言葉であり、効率的に仕事を遂行するための手段を表します。
身近な例として試験勉強に当てはめてみると、
P:試験に合格するために、毎日3時間勉強をすることを決意する(計画)
D:試験勉強開始(実行)
C:1週間経過したが、一日2時間しか勉強できていない(評価)
A:時間を捻出するため、勉強中はスマホの電源を切る(改善)
このように、計画したことを実行し、上手くいかなかったことや改善点を洗いだし(評価)、それを踏まえて行動をアップデートする(改善)、という4つのサイクルを繰り返すことでパフォーマンスがアップし、目標達成に近づくことができるのです。
ところが、「好きなように生きる」を「楽をして生きる」と勘違いしている人は、P~Cまでは実践するものの、最後のAのステップを踏もうとしません。
なぜなら、行動を反省して改善するというプロセスには、苦痛や困難を伴うこともあるからです。
ついスマホをいじってしまう人にとって電源を切るという行為は、
「誰かから連絡来てないかな?」
「SNSが気になる…」
と、何かしらのストレスや不安感を伴うことになります。
そこを乗り越えて勉強に集中することができれば、試験に合格する確率も高くなることはわかっていても、楽をしたいがために「改善する」ということをやめてしまうのです。
「ありのままでいい」という言葉の解釈
「好きなように生きる」の意味を理解していない人は、「ありのままでいい」という言葉も履き違えてしまいます。
昔の私がまさにそうでした。
「運動不足を解消するために仕事後はジムに通うぞ!」と思っても、なかなか継続することができない。
そんなときに、「ありのままでいい→無理しなくていい→ジムに行かなくてもいい」と都合の良い解釈を与えてしまうのです。
でも、本当に運動不足を解消したいのなら、
- なぜ継続できないのか
- 継続するためにはどうすべきか
- あるいはジムに通う以外に運動する手段はないのか
について思案し、具体的な改善策を打たなくてはいけません。
「ありのままでいい」とは、自分の性格や特徴を理解し、自分の好きなことを自分に合ったやり方で実践することです。
決して、「そのままでいい」「困難から逃げていい」「何もしなくていい」という意味ではありません。
「自分勝手に生きる」ことではない
「好きなように生きる」を勘違いすると、エゴが強くなり、相手の立場で物事を考えることができなくなってしまいます。
これは、他人に悪影響を及ぼすという意味で一番やっかいです。
例えば、友人と食事の約束をしていたのに、直前になって面倒になってしまったからドタキャンする。
相手の立場からすれば、とんだ迷惑ですよね。
でも、本人は「自分の感情に従っただけ」と正当化。
ありえないと思うかもしれませんが、私の周りで実際に起きたことです。
「好きなように生きる」は「自分勝手に生きる」ではありません。
他人との約束、社会のルールを無視して自分の都合で生きていく人は、やがて大切な人からも見離されてしまうでしょう。
「好きなように生きる」の本来の意味
常識に縛られない
「好きなように生きる」とは、
常識に縛られることなく、自分の本当に好きなことを他人の役に立つレベルまで追求して生きていくことです。
まず、常識に縛られないとはどういうことか。
北海道日本ハムファイターズの栗山監督が良い例だと思います。
大谷翔平選手の二刀流をはじめ、クローザーのピッチャーの先発起用、今年はオープナーや極端な守備シフトで注目を集めていますね。
かつての日本の野球界では考えられなかったことです。
栗山監督は、「チームが勝つためには常識に捉われない発想が必要」と言い、同時に「これだけ好きにやらせてもらって、球団には感謝している」と話しています。
誤解を招く表現になるかもしれませんが、この常識に縛られない考え方はまさに「好き勝手にやっている状態」なのです。
好きなことを見つける
「好きなように生きる」のもう一つの意味は、好きなことを極めることです。
そのためには、まず自分の本当に好きなこと、ワクワクすることを見つけなくてはなりません。
日常の中で、あなたの心が喜ぶ瞬間はどんな時ですか?
- コーヒーを淹れるとき
- 料理をしているとき
- 犬と散歩しているとき
- 子どもの笑顔を見たとき
- 音楽を聴いているとき
些細なことで構いません。
誰でも一つはあるはずです。
人の役に立つレベルまで追求する
好きなことが見つかったら、どうすればそれが人の役に立つのかを考えてみましょう。
コーヒーを淹れるのが好きだったら、
- カフェでバイトをする
- 喫茶店を開く
- コーヒーの美味しい入れ方をブログで投稿する
- コーヒー豆の選び方をYou Tubeで紹介する
幸いにも、ネットが普及した現代は、人とつながる手段はいくらでもあります。
大切なことは、
- 好きなことを見つける
- どういう形で人の役に立てるのかを考える
- 人の役に立つレベルになるまで追求する
この順番を間違えないことです。

いきなり「人の役に立つことって何だろう」と考えると、自分の好きなことから遠ざかってしまいます!あくまで最初は「ワクワクすること」にフォーカスしてください。
「好きなように生きる」ために欠かせないこと
人とのつながりなしには生きられない
補足として、「好きなことを人の役に立つレベルまで極める必要性」について考えてみたいと思います。
「ただ好きなことをする」のと、「好きなことで人の役に立つ」の違いは何でしょうか。
結論からいうと、「自分のため」か「他者のため」か、という違いです。
前者は、自分の心を満たすために好きなことをしているのに対し、後者は人や社会に尽くすために自分の好きなことを生かしている状態です。
結局、人は人とのつながりなしに生きていけません。
誰もが、「他者に認められたい」「他者の役に立ちたい」という根源的な欲求を持っているからです。
いくら料理が好きでも、食べてくれる人がいなければ、「美味しい」と言ってくれる人がいなければ、楽しさは半減するでしょう。
つまり、好きなことを他人に提供することで人生はより豊かになるのです。
そして、多くの人に喜んでもらうためには、必然的にそれに見合ったレベルまで極める必要があります。
時には好きでないこともする必要がある
好きなように生きるためには、時には好きでないこともする必要があります。
私は普段、整体師として働いていますが、会社員と違って売り上げや経費はすべて自分で管理しなければなりません。
正直、この作業は面倒くさいですし、できればやりたくないことです。
でも、整体師という大好きな仕事をするためには、こうした地味な作業もしなければならないのです。
また、整体師としてスキルアップする道のりは決して容易いものではありません。
「なかなか上達しない」「思うように結果が出ない」と歯がゆい思いをすることも多々あります。
むしろ、そういう葛藤や困難を味わうことの方が多い気がします。
それでも、この仕事を十年以上も続けていられるのは、患者さんの喜ぶ顔が見たいからです。
好きなように生きることは決して楽な道ではありませんが、だからこそ人は夢中になれること、ワクワクすることをしていないと生きていけないのです。
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